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敦賀市観光名所

越前敦賀城主 大谷吉継
▲ 越前敦賀城主 大谷吉継

石田三成との友情に殉じ、
関ヶ原に散った戦国武将

戦国時代の終りを告げる「関ヶ原の合戦」から四百余年。 裏切りが常の戦国の世に、盟友・石田三成との堅い友情に殉じた敦賀城主・大谷刑部少輔吉継。
豊臣秀吉の小姓から着々と実績を重ね、秀吉政権の下で重用される。天正十七年(1589)には敦賀城主と なり、十二年間、才覚を発揮し、軍事・物流の最重要拠 点であった敦賀城下の整備拡充を図った。
慶長五年(1600)天下分け目の関ヶ原で、吉継は勝ち目のない戦と知りつつ西軍三成側について善戦するが、 味方の裏切りが続き、大谷軍は全滅。吉継は自害し、こ こに生涯を終えた。
大谷吉継は不治の病に冒されながらも「忠実と友情」 に殉じた戦国の「智将」であったと伝えられている。

大谷吉継と石田三成

大谷吉継と石田三成は、豊臣秀吉の小姓時代からの友人であり、年齢も近かった。二人は秀吉の忠実な側近として、秀吉の天下取りのために全国各地を転戦した。
秀吉の死後、三成は天下が家康のものになろうとするのを敢然と阻止しようとした。吉継も三成に懇願され、友情から断り切れず、三成と共に関ヶ原の戦いの中に消えていった。敦賀城も関ヶ原合戦後、一国一城令により破却された。さらに昭和20年の戦災により、旧敦賀城東側の市街地にあった多くの文化財が失われた。
しかし、現存する僅かな吉継ゆかりの地を訪ねることにより、吉継が生きた時代を感じとっていただけたらと思います。


豊臣秀吉の重臣
敦賀城主大谷吉継ゆかりの地
〜石田光成との友情に殉じ、関ヶ原に散った戦国武将〜


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八幡神社

旧敦賀城内にあったと伝えられる龍の欄間飾りや燈籠が奉納されている。
また、信長が奉納したと伝えられる太刀もある。
(施設)私立敦賀郷土博物館
入館料:大人200円・中人100円・小人50円

真願寺

敦賀城跡碑、城の礎石がある。

来迎寺

敦賀城にあったと伝えられる門が現在する。また、城の御殿にあったといわれる障子(腰高障子)も残されている。

常宮神社

吉継が秀吉の命により奉納したといわれる朝鮮鐘(国宝)がある。

金ヶ崎城址

南北朝時代と戦国時代の古戦場。金崎宮があり、桜の名所。

妙顕寺

織田軍金ヶ崎攻めの時本陣があった。

氣比神宮

朝倉方にあった当社は、織田軍の焼き打ちにあい、本殿以下建造物全て焼失。神器・宝物等ことごとく持ち去られたといわれている。境内には芭蕉像が立っている。(拝観無料)

西小学校

敦賀城案内の石碑があなたを待っている。

永建寺

吉継が寺領を安堵した書状がある。

西福寺

吉継が寺領を安堵した書状がある。

月見御殿

眺望抜群!!
来てよかったと、きっと思うよ。

みなとつるが山車会館

大谷吉継の像がお迎えします。

永賞寺

大谷谷吉継の菩提寺で、吉継の供養塔と伝えられる九重塔がある。

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